平成30年9月の講話
更新日:2018/09/06 10:25 カテゴリー: 朝礼
院長のテーマは「健全な職場環境の推進」でした。
俊野常務の講話「そこに居たいんだもの」
おはようございます。先日久しぶりに本の整理をしました。恥ずかしながら埃がいっぱいたまっていましたが、たまたま手に取った小桧山博氏のエッセイのこんな文章が目にとまりました。
安曇野の山の中の温泉へ妻と行って過ごした時のこと。露天風呂に入り、5・6人のお年寄りがいるだけの静かな休憩室でくつろいでいるとすぐ後ろのテーブルに向かい合って座り、持参の弁当を食べている二人の年老いた女性の話が耳に入ってきた。
しわがれ声の女性が「あんたときどき来ているけど湯治かね」と聞いている。すると向かい側に座っている小柄な女性が「恥ずかしいことですが、田んぼの畔から転んで腰の骨と肋骨をおってね。週に二回来てますよ」と答える。二人の女性はここで会うだけの間柄のようだった。
しわがれ声の女性が「あなた、おいくつですか」と聞き、小柄の女性が「92にもなっちゃって」と言いくっくっと笑う。しわがれ声の方が「わしは87だけど、あなた若く見えますねぇ。だけど92にもなって、なんで田んぼになんか行くのかね」と聞く。
すると小柄の女性が「あなたもお医者と同じことを言うんですね。田んぼから救急車で担ぎ込まれた病院のお医者も、92にもなる老人が、どうして田んぼになんか行っているのかって、責めるみたいに言うのさ。だけどそんなに言われても、どうこたえていいかわからないのさ」と言った。
彼女は「それでしかたがないからお医者には、そこに居たいんだもの、って言ったのさ。そしたらお医者、黙ってしまったけど」と言った。
そこに居たいからという言葉に、僕は息がとまった。
私もはっとしました。母が認知症を発症したばかりのころ、暑さも寒さも関係なく毎日草むしりと家の前の道路の掃き掃除をしていました。他に思いつくことがなかったのか、習慣だったからなのかわかりませんが、母にとってはそこでそうしていることが心地良かったのかもしれません。
当時はそんな考えはなく、「暑いのにやめなさいよ」「また疲れが出るから…」とか私の理屈で声をかけていました。今思えばもう少し言い方があったのかなと反省しています。患者さんにもそれぞれ心地の良い場所・心地の良い時間があると思います。それを理解しようと思う気持ちをもって接していただけたらと思います。